(ΦωΦ)正気のsaturday night(ΦωΦ)

本人にもよくわかりません

怒りの轍、轢かれし私

我が女帝は怒りが頂点に達すると、兎にも角にも神経が鋭利になる。
突然の如く『人生のライフプランは明確か』などと聞かれた暁には睡眠を取ることも許されず、彼女の押し問答に答え続けなければならない。
 
「いつまで今の仕事続けるの」
 
そんなことはわからぬ。
 
「東京には後何年居るの」
 
明確な期日などない。
 
仮に綿密な人生設計があったとて、それが何になると言うのか。明日でさえはっきりとはしないこのご時世において、愚直なライフプランなど有って無いに等しいではないか。
 
やっとこさ問答を終えたと思えば
 
「携帯は触るな。」
「早く寝て。」
「そんなだから朝起きれないんだ。」
 
などと普段1ミリたりとも触れることの無い領域にまで口を出し始める始末である。
何たる非道。かの女帝の怒りの矛先は常に私に向いており、その数は膨大で被害は甚大である。
四方八方を彼女の怒気に囲まれ、身動きが取れぬのだからもはや笑うしか無い。嘗ての大陸の英雄、項羽も最期はこんな気持ちだったのだろう。まさしく四面楚歌である。
 
などと亡き英雄に心を通わせている程の暇もなく、私は怒りの刃を全て受けきらねばならない。
しかし全てを受け止めていては身も心もたまったもんじゃあない。
時には切られたと見せかけて、受け流すことも必要である。そうしなければ今頃は、ころりと可愛らしげな賽の目状の肉塊と化していることだろう。
 
我が女帝は、己が怒りを自身の中で昇華出来ず、捌け口を常に外部に求めているようである。
その捌け口となるものは他ならぬ私である。
まるで蛇に睨まれた蛙ではないか。これは惨状か。
 
気の許した友も少なく、助けを求める師も居らぬ彼女にとって、唯一心を開いた存在といえばどうやら私しか居らぬようだ。
共に道を歩むと決めたのだ。草臥れた懐刀で多少斬り付けられてもなんのその。一つひとつをしかと受け止めさせていただこうではないか。
だがしかし、たまに大鉈かと見紛うばかりの一太刀をお見舞いするのは止してはくれまいか。
 
この華奢な体躯では受けきれぬのだから────────。